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プロフィール 八木信彦 ティトレンドクリエイト:アフィリエイト+ビジネス情報ブログ

この記事は『プロフィール 八木信彦 ティトレンドクリエイト』についての記事です


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2011年06月17日

プロフィール 八木信彦 ティトレンドクリエイト

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笑顔あふれる集客アドバイザー
ティ・トレンド・クリエイト(TTC)代表の八木です。

★追記 2011年8月27日

私は利益を得るためだけの商品を取り扱う人とは、お付き合いしたくありません。




感動と喜びを伝えるあなたの商品で、
もっとたくさんの方に喜んでもらう集客をするのが私の使命です。



  



2010年9月まで、ある工具メーカーの工場に勤務していました。


当時の仕事は、時簡に追いかけられる仕事で、
昼休みもタイマーを携帯して食事をしていました。
仕事の最小単位は11分(2〜3分もあり。そのたびに移動します。
職場環境もあまり褒められたものではありませんでした。


しかしたいへんやりがいのある仕事で、
私はその仕事を誇りにさえ思って、作業に取り組んでいました。


その工場は主に、工場で使う工具を製造するメーカーで
一般の人の目に触れるものではありません。


しかし、その工具が人の役になっていることを嬉しく思いました。



しかし、作業環境はというと、
1分ずれると不良になる製品もありました。


「ピピピピッ」

タイマーが3つも同時なるとストレスが最高になりました。



入社して2年目

課長が病気で突然亡くなり、
その後、先輩が会社に不満を持ち急に退社


気が付いたら、
その部署の技術の根幹は、
自分しか知らない状況になっていたため、
クレーム処理を全て私がやることになりました。


技術的に分からない事だらけで、
文献もたくさん読みました。
いろんなことにもチャレンジしました。

技術系のセミナーや人材育成のセミナーにも参加しました。



しかし、次第にその物作りの情熱を奪ういくつかの出来事が、
私の人生の歯車を変え始めました。



私の所属部署は、夏場は最高室温44度
梅雨時期は天井から水滴が落ちてくるような多湿な作業環境でした。


そんな環境で食事はほとんど取れず、
水だけしか飲めないときもありました。


当時、あまりの暑さで、不思議なことに
寒気すら感じて鳥肌が立つときもありました。


いまから思うと、あれは熱中症の一歩手前だったと思います。


頬はこけ、あばら骨がむき出し状態の体は、
とても、日本人だとは思えない体でした。


また、酸系のガスのため金属類が腐食するので、
他の部署とは隔離された状態で、
セキュリティーも独立していました。


セキュリティーのカードは私しか持っていないので、
毎朝、工場に出勤してセキュリティーを解除、
毎日、十数時間工場で働き、
帰るときもセコムをセットして帰りました。


私が出勤しないと課員は工場に入れませんでした。
他にも上司がいるだろうと思われるかも知れません。



しかし、信じられない様なこんな実話があります。



真冬のある寒い朝、
朝起きたら雪が降り始めてきたので、
子供をいつもより早めに保育園に送るために、
車で20分くらいの距離にある保育園まで出掛けました。


しかし途中に予想外に雪がどんどん道路に積もり、
到着する頃には対向車をよけるためにハンドルを切ったら、
雪にハンドルを取られ、電信柱にぶつかりました。


先生も雪のため遅れていたので、
先生が来るまで待って、それから会社に向かいました。



時間は何時もならまだ十分間に合う時間でした。
しかし、雪のため道路は大渋滞、
何度か会社に電話で連絡して、始業時間数分前に工場に着くと、
課員が雪が降る外で寒そうに立っていました。


私は最初、信じられませんでした。
とっくに建物内に入っていると思っていましたから。


こんなこと、普通ありえますか?



上司は鍵を持っていいます。
セコムのカードも持っています。



しかも部下もただ外で待っていたのではなく、
上司に鍵を下さいと言いに行くと、

「もうすぐで八木がくるから待っていろ!」と言われたんです。



上司は自分が鍵を探して空けるのがめんどくさいだけです。


こんな事、ありえますか?



小さな会社です。
人と人のつながりが一番大事です。
設備が劣る分、チームワークがなにより大事なハズです。



部下の、その時の気持ちを考えてみたらどう思うかです。



私はそれを聞いて拳を握りしめて、その場は耐えました。




しかし、これくらいの事はどこの会社でも良くある事かもしれません。

でも、話はこれだけではありません。



課長が亡くなり、先輩がなくなり技術の根幹は私しかしらないのに、
当時、人材をいれようともしませんでした。


私は会社の経営状態を把握していたので、
十分に余力のあることは知っていましたので、
人材を入れるように提案を何度もしてきました。


普通なら、いまいる人材を育成してなんとかやることを考えます。



そのため、いまいる人材を育成することが急務だったのですが、
当時は、教える人材がいない状態でした。



まず、部署の6割はパート。しかも年齢は60過ぎの人が主力
正社員といえば・・・信じられない人材です。

若い人もいるにはいました。

しかし、人材にはなり得ませんでした。

それを示す話があります。



私の所属部署を、
課員はこんな様によんでいました。


「 おばすて山 」



会社で問題を起こした人や、扱いづらい人、
能力が極端に劣る人が集まる部署の長をしていました。



新入社員が入ったかと思うと、
半年間、私の真横で仕事を教えていたのに、
私の名前を覚えられなかった高卒の新入社員が・・・


彼は、小学校の計算すらろくにできない。
これで高卒とは、私は学校のいい加減さにあきれました。


その彼がセールスに高いものを契約させられて、
私が解約することもありました。


問題山積みなので、
彼の家まで行き子供の頃からの状況を聞いたりもしました。

IQを測定したら、高卒なのに小学生レベル・・・


やっぱり。
親が申請をしていないだけ。


人事も機能していませんでした。



人材が大切といいながら、実際にはどうだったのか?
これでお分かり頂けると思います。




ある年の12月、師走、
非常に忙しい年がありました。


毎日残業で休日無しで、私だけ3週間連続勤務
この私だけというのが、精神的にこたえました。


12月28日なんとかその年の仕事を全てやりきりましたが、
私の体に異変が・・・



帰宅後、真夜中にひどい腹痛に見舞われて
トイレに駆け込みました。
下痢・・・ではなく



下血して便器が真っ赤に染まりました。

あれを見たとき、思わず倒れそうになりました。

そして、しばらく動けませんでした。



さらに、2時間周期で下血を朝まで繰り返しました。

もうだめもしれない。




その後、
妻や子供達の寝顔をなで、


妻に、
子供たちに・・・


大切な家族にあてて・・・

そっと遺書を書きました。



朝、市民病院に向かいました。




大晦日の夜、みんなが紅白をみているとき、
私は市民病院で点滴を受けていました。



しかし、なんとか復活
奇跡



病み上がりで翌年、
年始の会議前にそのことを経営者に伝えると、




なんと、笑われたんです!

信じられますか?


一瞬、何かの間違いかと思いました。




・・・・・




どんな想いでこれまで働いてきたか・・・


この会社は、おかしい。



うわべは耳障りの良いことを言うけど、
経営者は結局は、一族(同族会社)や自分の利益しか考えていない。
としか、当時は思えませんでした。



インフルエンザで、39度4分の熱で鼻血が止まらなったりもしました。
午後、そんな状況なのでまともに仕事も出来ず、
さすがに帰宅しましたが
もちろん翌日から熱い体で仕事に行きました。


変わりがいないから休めない。



「なんでこんな会社に入ったんだろう。」

そのとき、私は強く退社を決意しました。



「 あなたの会社も同じじゃないですか?」



それでも物作りがしたかった。



自慢することではありませんが、
私は手先が人並み以下のかなり不器用な人間です。



でも、小学生の受業参観で発表したことをいまでも覚えています。




人の役に立つものをつくりたい!」
その想いがあったので物作りの会社に入社しました。




しかし、現実は人の為になるものを作る以前に、
利益優先の陰で自分が壊れそうになりました。





会社を辞めてやる!

本気で決意しました。



その時から、私の本気の人材育成が始まりました。



当時、少しずつ若い優秀な部下が入り始めました。
単なる偶然ですが、下血のあのときのような奇跡の予感


私は、1人の部下にターゲットを絞り、
徹底して育成を始めました。


自分が辞めても部署が動きを止めないように。


もう利益率をどうこう言われ社内生産をやれと言われても、
私は外注を積極的に使いました。


最悪の場合、「大半を外注にやらせろ!」とまで部下に伝えました。



彼を倒れさせてはいけない。
それが私に残された使命でした。


彼も、小さなかわいいこども生まれたばかりでした。



私もいきなり退社しても大黒柱として
家族4人を支えなければいけませんので、
収入を会社に頼らずに、
自力で何かでまず稼ぎだそうと考えました。



そこで、もう1本の柱の収入源を確保する必要がありました。

その柱があるネットビジネスでした。





あるネットビジネスに出会うきっかけは、
妻にプレゼントでもらった1冊の本でした。
そのネットビジネスは、資本が低額で始められるものでした。


それを読み終えたとき、
いずれこれを元に起業しよう!と決意しました。



そして、次から次にあるネットビジネスに、
100万円以上は軽く投資して、実践をしてきました。



ところが、数百時間も実践しても結果がでず、
作業に対する報酬は時給ほぼ0円
信じられない様な状況でした。



バイトの方が楽に稼げる。
内職の方が確実に稼げる。

そんな思いが頭の片隅に浮かんできました。


いくら実践を続けても、
稼げる兆しすら見えませんでした。



人が稼いだノウハウ購入して実践したのに、
自分は、簡単には稼げませんでした。


稼いだノウハウ、教材を読んで実践しているハズなのに稼げない。


やはり不器用だからなのか・・・



どうすれば稼げるのか、
どすれば・・・



そこで、いろいろ調べていくうちに、
成功している人が、実はほとんどいない事実に愕然としました。



そうなんです。
実は、わずか月1万円でさえ、
ほとんどの方が稼げていませんでした。



ネットビジネスは華やかに見えますが、見た目よりもかなり奥が深く、
底がみえないのを、2年も過ぎてやっと気が付きました。



そのビジネスモデルがアフィリエイトでした。




満足な成果を得られないまま2年が過ぎましたが、

私は結果を必ず出すんだ!

その想いだけで作業をすすめました。


その頃、ある方のサポートを受けてあることに気が付きました。



考え覚悟が甘かったのです。




ネットビジネスです。
遊びでもサークル活動でもありません。
みんなが競争相手です。


食うか食われるか、弱肉強食の社会となんら変わりは無かったのです。



アフィリエイトで稼げていない人は、
多かれ少なかれ、私と同じような甘い考えで参入されてきます。



そして、稼げず数ヶ月もすると簡単にモチベーションが保てず、
やがていつのまにか、やめてしまう人が多いのです。



これが稼げないまま消えていくパターンです。

店舗を構えるリアルな仕事なら借金地獄になっているところでした。



でも、そんなに稼ぎにくいのに、
アフィリエイトを辞められない理由がありました。




それは、さらに会社で追い詰められていたからです。




ある人が中途で入社してきました。


仕事はある程度出来て、やがて戦力になっていくところでした。
この手応えは、久々に良い感じでした。


しかし、その彼は夫婦げんかで家を飛び出し、会社を無断欠勤して、
新聞にも載るようなある事件を起こして退社





次に中途で入社してきた人が・・・

うつ病の人




会社に来る前にお腹が痛くなり、出勤してこない。
 当然、工場の仕事が止まるので誰かが穴を埋めなければならない。


気分が少し良くて出勤してきても、人と会話ができず、
人が見ていると、まともに作業もできない状況でした。



もちろん、それは病気であって仕方の無いことです。
それは理解していました・・・



だからこそ悩みました。


当時、私はもっとその病気の事を理解しようと、
症状や対処法を学びました。



とこが、その対処に悩み体も心も休まらない状態で、
自分もうつ状態になりました。


妻に、

「病院で見てもらった方がいいんじゃない・・・」

かなり心配をかけてしまいました。




感情の起伏が日々上下していました。


ちょっとしたことでも、すぐにイライラしたりひどく落ち込んだり、
激しく怒りがこみ上げて来たり、
なぜか笑えて来ることさえありました。




いま振り返ると、かなりやばい状況でした。




仕事は、なにをやっても上手く行かず、
仕事の負担は増え、仕事はたまり請求の数々・・・



その病気の方は、その後退社する事になりました。



さらに追い打ちをかけるように・・・



ある先輩の課員は、
飲み過ぎて寝て
酔っぱらい、ストーブで大やけどをする始末

2ヶ月以上も入院



事件を起こしたあの人と、うつ病の方の2人が辞めたとき、



社長からこんな事を言われました。


「 ○課に入る人間はみんな辞めるな! 」



あり得ない言葉を浴びせられました。


正直、言葉を疑いました。



そして数年前の下血で、
市民病院の点滴の事で笑われたあの事が、
悪夢の様に蘇ってきました。





はあ?

辞めたのは私の責任?




拳を握りしめて、怒りをグッと押し殺してこらえました。

危ないところでした。





もう、こんな事を幾度、繰り返したでしょう。

上げたらきりがありません。



経営者のこれまでの言動に不満を持っていたので、
こんな会社に勤めている理由が見つからない。
もう、ガマンの限界に来ていました。




そのころ、ネットビジネスの作業をさらに加速しました。



朝4時から作業をして
朝7時過ぎに出勤


残業して帰宅後、夜中の1時2時まで作業



体も心もぼろぼろな時でしたが、
不思議と成果が上がり初め、
いつのまにか会社の給料を超える成果が出ていました。


そこでハット気付きました。



適切な作業を継続すれば稼げる!
という事を体感しました。



覚悟




そして、気が付いたら会社を退社して、
自分の好きなことを出来る様になりました。



タイマーで1分単位の作業を、
時計を気にして作業をしていたのに、
そんなストレスから開放されました。



納期請求の伝票に泣かされることも、
部下のトラブルで激怒することもなくなりました。




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ネットは稼げる!


自分の作業に自身を持ち、
必ず稼げる!
確信が生まれました。



そして、そのことを他の人にも教えてサポートすると、
いままで全くアクセスを集められなかったのに、
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アフィリエイトって仕事だから、
適切な作業を忠実にすれば稼げる!
本気でやれば稼げる!

確信しました。



信じて作業をしていけば結果は出ます!


その想いと作業を誰かに伝えたくて、
私はあることをはじめました。


それを次回以降、お伝えします!







■編集後記


24年間勤務して、自己都合で退社しましたが、
仕事には不満はありませんでした。


むしろ、楽しんでいました。


不真面目に仕事に失敗した部下には激怒したこともありますが、

真面目に真剣に仕事に取り組む部下には、
いくら仕事が遅くて出来なくても、
一度も叱ったことはありません。


むしろ褒めていました。



「大丈夫、絶対早く出来る様になるから!」

不器用な私が、それを一番よく知っていましたから。



4年ほど前に初めて辞表を書きました。
それは出しはしませんでしたが、


辞めるまでに、必ず全てを伝授する。
それが私の部下に対する覚悟でした。


そしてそれを果たしてから退社しました。
気付けば、4年という月日が経過していました。


私は会社に役目を果たしてから辞めたと、
思っています。

あの会社の改革は、いずれ若い人達が変えてくれるでしょう。
そう信じています。



そういえば、私は、退社するとき、大切な部下からプレゼントしてもらった
腕時計をいまも大切にしています。



ほんと、良い部署だったといまでも思っています。


Uくん、SくんYくん、Yさん・・・

どこまでまた、一緒に仕事が出来ればと思っています。



私が退社する5ヶ月ほど前にこの世を去った
私が尊敬していた創業者の方へ

有り難うございます。


創業者の熱い想いが生き続けますように。




八木





八木信彦とは

1967年、1男1女の長男として奈良県に生まれる。

妹がまだ赤ちゃんの頃に、父が交通事故で亡くなり引っ越しを繰り返す。

小学校時代は、左利きを無理に矯正させられて悩む。

森田健作に憧れて中学時代は剣道をする。

高校時代、森田健作に憧れて生徒会に立候補して、副会長、代議員議長をする。

高校卒業後、昼はある工具メーカーに勤務して、夜は夜間の大学に通う。

戦国時代の織田信長、幕末の坂本龍馬、勝海舟、高杉晋作、
三国志の人々の世の中を変えようという、劉備元徳、諸葛孔明等の熱き心に涙す
る。

家族を説得して、22歳で結婚する。


職歴:ダイヤモンド工具の製造・品質管理・部下の育成に取り組む。一度、大ク
レームに会う。
売れ筋商品の生産効率を150%にする。
指揮する部署を10年以上にわたり利益率でトップを走る。

創業者が亡くなり、社内体制が変わり自立を目指し2010年9月、
24年間勤めた会社を退職、ネットビジネス専業となる。

感動と喜びを伝えるあなたの商品で、
もっとたくさんの方に喜んでもらう集客をするのが私の任務です。


全く売れないメールマガジンで売れる反応のあるメディアに育てる手法に詳しい。


好きな言葉:石の上にも三年、変えてみせる!
趣味:旅行、写真、釣り、メールマガジンを書くこと。手品を見るのが大好き








 
Posted by aaa_mall at 2011年06月17日│16:07

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